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開基(お寺を建てた人)
開基(お寺を建てた人)は高見城の城主 増田四郎重富。15世紀の関東は戦乱が続いていて、この付近も上杉氏と長尾氏の争いの戦場となっていました。古刹能満寺*1もこの戦いで焼けたと考えられています。
*1能満寺…五台山文殊寺となる前のお寺
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開山(お寺を開いた人)
崇芝性岱(そうししょうたい)大和尚とされています。性岱は、曹洞宗派の石雲院(静岡県牧之原市)で子弟の育成に努め、教えを受ける雲水(弟子)は常に300人余りいたと言われています。
性岱の直弟子の季雲永岳(きうんえいがく)がその師の教えを守り、東国で仏教の布教を目指しました。この季雲永岳が文殊寺の開祖で、当時の宗派の習慣に従い、師の性岱を開祖とし自らは二世となりました。
年表
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長尾景春の乱
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増田四郎重富、高見城(小川町)へ移り住む
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五台山能満寺、全山焼亡と伝える
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文殊寺開山。開山は崇芝性岱(そうししょうたい)、開基は高見城城主 増田四郎重富
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高見城城主 増田四郎重富 没
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開山 崇芝性岱 示寂
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2世 季雲永岳 寂
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豊臣秀吉、小田原城攻め、北條氏滅亡。鉢形城落城
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徳川家康、関東に入国。文殊寺朱印状20石を賜る
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御前裁許、文殊本末争いに敗訴
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本末争いに敗れ、末寺120ケ寺を失う
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吉宗より朱印状20石を賜る
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梵鐘鋳造
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芭蕉句碑建立
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本堂・庫裏焼失。仁王門、観音堂残る
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この頃、文殊寺境内で博打横行
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本堂再建
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28世 満海真龍代、本堂再建完了
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鴻巣宿 島田仙左衛門、石灯篭(中山道)を奉納
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鐘楼門再建
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本堂・庫裏焼失
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本堂再建。仁王門が江南村の指定文化財に
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霊園造成
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梵鐘再鋳
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開山堂新設・客殿改修
崇芝性岱和尚500回忌を営む -
37世 蘭堂正典 寂