HOME
TEL
ACCESS

寺院のみどころ

文殊師利大菩薩

能満寺火災の際、寺宝の文殊菩薩は救い出され、檀家総代の家で安置、寺院の再建を待ったと伝えられています。
文殊さまは獅子の上に座っておられます。この獅子は左後ろ足が欠けていますが、これは昔々、文殊さまが村人たちを教え導くためにお寺から出られるときに、獅子も後をついて行き、作物を食べ散らかしたりいたずらをしたりして村人たちを困らせたので、お寺の和尚さまが後ろの片方の足を切り落としたとの言い伝えがあるそうです。
また、野原の地区のお嫁に来た方が御縁日にお参りすると、男の子を授かるという言い伝えもあったそうです。

建物

  • 山門(仁王門)

    朱色の山門は江戸中期の建築と推定されています。江戸、昭和の2度の火災にも唯一残った建物で熊谷市の指定文化財となっています。

  • 鐘楼門

    明治34年(1901年)に再建されました。山門、本殿の中間に位置し、2階建ての鐘楼で美しく存在感のある建物になっています。

  • 本堂

    昭和33年に観音堂の一部を転用して本堂が再建されました。現在も天井の格子絵にその一部を見ることができます。

寺宝

  • 芭蕉翁塚

    碑自体は文化13年(1816年)に建立されたものです。背面の撰文は福田村(滑川町)の五道庵竹二望のものです。

  • 芭蕉翁碑

    芭蕉翁塚と同様、碑自体は文化13年(1816年)に建立されたものです。背面の撰文は福田村(滑川町)の五道庵竹二望のものです。

  • 聖徳太子の塔

    野原の文殊寺は聖徳太子ゆかりの文殊菩薩像を祀る「日本三体文殊」とされています。

  • 地蔵菩薩半跏像

    左手に宝珠、右手に錫杖を持ち、左足を台座より踏み下げる。

  • 増田四郎重富の五輪塔

    文殊寺の開基は高見城城主 増田重富とされています。能満寺の跡地に陣屋を築き、その敷地内に文殊菩薩を祀り、ここを文殊寺としました。寺伝によると1487年(長享元年)に没しました。

  • 歴代住職の墓塔

    文殊寺を開山した崇芝性岱、実質の開祖2世の季雲永岳など500年の歴代住職の墓塔です。奥中央が1世、右端が37世の新しい墓塔です。

  • 常新灯

    中山道鴻巣の信者の方より奉納されたものです。台座に「中山道」と刻まれています。

  • 八菩薩像

    左から千手観音菩薩、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、勢至菩薩、大日如来、不動明王、阿弥陀如来となります。

  • 金子兜太氏の句碑

    「行雲流水(こううんりゅうすい)螢訪なう(ほたるおとなう)文殊の地」と刻まれています。

ページトップへ